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なんだかとっても切なくて悲しくて腹が立つ・・・
2006 / 04 / 24 ( Mon )
今日は全くイタリアとは関係ない日本のことについて書かせてください。私一人が私的なブログでこんなことをツブやいたって世の中変わるとは思わないけれど、絶対におかしいと思う・・・日本のテレビ。

先週末からずっとテレビを騒がせている岐阜の少女殺人事件。

犯人が高校2年の少年だということも含めて、スキャンダラスであり世の中の人の好奇心を煽る内容の物だからかもしれないけれど、報道のされ方があまりにもヒドい・・・。

なぜ、被害者である少女の名前と顔写真が全国的に知らしめられ、どのような生活をしてきたかが明かされ、無責任なコメンテーターに批判され、学校で撮影された合唱風景が電波に乗せられ、無神経なレポーターや記者に家族や友人が取材され・・・・・。

一方、加害者である少年の名前も顔写真も今後の更生の可能性を潰さないためという理由で伏せられている。もちろん、被害者には未来も何も残されていないのに。

加えて、レイプ目的で妻子を殺害された事件でも、鮮烈でスキャンダラスな事件ばかり担当している弁護士が記者会見に出てきて、殺害方法を描いた紙芝居を披露して殺意がなかったと声を大にして主張している風景が宣伝される。

正義ってなんだろ?

公正な裁きってなんだろ?

加害者の権利を守るってなんだろ?

声無き被害者の権利はどうやったら守られるんだろ?


この日本の中で、いったい何人の人が「無残に殺されてしまった少女が何という名前でどういう顔でどういう生活をしてきたのか?」について知りたいと思っているのだろうか?

被害者の少女は、殺された後もなお、世間に対して辱めを受け、評論され、批判され、心ない人の好奇の目にさらされ、話題にされなければいけない運命だったのか?

自分の短い人生を犠牲にして、病んでいる現代社会に警鐘を鳴らす役割を担わされていたのか???

本当に疑問。。。。

昔、大切な友人を事故で亡くした経験がある。その時から、自動車事故の現場に中継を出して、事故現場でまだ洗浄されていない血のついた道路を撮影し、それを世間に知らしめる意味があるのだろうか?と常々思ってきた。

残された家族や親類や友人たちは、このような映像をどういう気持ちで見ろと言っているのだろうか??


ごめんなさい。あまりにも腹立たしかったのでここで解消させて頂きました!!でも、こういう風に考える私の方が少数派なのかな?

最後に付け加えると、このように書く私とて、この事件の背景となっている退廃ぶりには批判的です。


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テーマ:イタリア - ジャンル:海外情報

12 : 02 : 18 | スローフードな私的つぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
食べ物で季節を感じる@日本
2006 / 03 / 26 ( Sun )
昨日の我が家の夕食は『初がつお』と『たけのこご飯』でした。

う~ん、春が来たって感じです。

目に青葉山ホトトギス初鰹

この句は有名だけれど、こういう川柳聞いたことありますか?

目も耳もただだが口は高くつき』(笑)

きれいな青葉を見るのも、ホトトギスの美しい声を聞くのもタダだけれど、初鰹を味わうのだけは大変な出費になるっていうちょっと江戸っ子っぽい意味の川柳です。

何故初かつおの値段が高かったのか??

真偽の程は分からないけれど、聞きかじった話では・・・

江戸時代の東京、いわゆる江戸では、ちょっと綺麗な女性は皆江戸城の大奥に行ってしまったらしい。鰹好きの江戸っ子の娘たちは大奥で、
「鰹が食べたい。鰹が食べたい♪」と言っていたため、江戸城の鰹の発注数は相当数だったみたい。
すると、庶民に回ってくる鰹の量はぐ~んと減ってしまう。
それに、江戸っ子は新物好きだから、値段が高くても無理して買ってしまっていた・・・。だから、需要と供給のバランスの市場原理で値段は高く出回ったという話。

女房を質に入れても・・・!とまで思って太っ腹に鰹を買い求めて食べていたんでしょうね・・・。

それにしても、鰹は美味しい♪


さてさて、この鰹の話を冥途イン・イタリーらしくイタリアネタに持って行こうとすると・・・・。

イタリア通な方なら、ここで「ふふふっ」とうとう来たか・・と思って頂いているはず。

そう、シモネタになってしまうのです。

貴女がいくらカツオ好きでもイタリアのレストランでは『カツオ~~』と言ってはいけません。

なぜならば、『カツオ』は放送禁止用語だからです。

しかし、イタリア人と話をしているとかなり頻繁にこのワード登場します。

『チキショー!』『バカヤロー!』などの意味で、文頭、文尾に使われます。このワード自身の意味は、いわゆる『♂』。

このワード、面白い使い方もします。

Ieri il mio nonno ha compiuto 100 anni. Sai perche'?
Perche' faceva solo i ○azzi suoi....

(注:↑の○の中には「c」が入ります。。。変な検索に引っかからないようにするため伏字にしました!!)

昨日うちのじいちゃんは100歳になったんだぜ。何でか(こんな長生きしたか)分かるか?
それはいつも自分勝手なことばっかりやってたからだぜ。


という意味のイタリアの笑い話。
本当なら○の所には「F」が入ってfatti(←『行動』というちゃんとした意味。)i fatti suoi というのが正しいイタリア語です。

あっそうだ。「c」の方の『○azzi』の説明をしなければダメですね。

『○azzo』いわゆるカツオです。これは単数系。(ちなみにアクセントは「カ」に。「zzo」の部分の発音は「ッツォ」。はい、どうぞつなげて発音してみてください♪)

『○azzo』はもちろん男性名詞なので、複数形にする時は、語尾の「o」を「i」に変える。なので『○azzi』は『○azzo』の複数形。

だから、上の笑い話の中の元気なじいちゃんは『♂♂♂♂』ということですね(笑)。


なので、イタリアでもし『さざえさん』が放映されるとしたら(放送されてるのかな・・・)『カツオ君』の名前は絶対改名されることでしょう。じゃないと、サザエさんがカツオ君を怒りながら追いかける名場面も、サザエさんのセリフは『ピー』・・・・。

アクセス数を増やしてみようと思い、ランキングに参加してみました♪『面白いっ♪』と思ったら是非ポチリと清き一票をよろしくお願いします。(ヨーロッパネタの他のイケてるサイトも見ることができるみたいです←私はまだブログ素人。)


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18 : 04 : 51 | スローフードな私的つぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ホンモノについて・・・
2006 / 03 / 06 ( Mon )
昨夜(日曜日)、私の敬愛する辰巳芳子さんが特集されていたTBSの番組『情熱大陸』を見ました。

書店で辰巳先生の本をたくさん売られているのでご存知の方も、また、この番組を見られた方も多いと思ったので、蛇足かとも思いましたが、念のため。

http://www5.ocn.ne.jp/~monika/main.htm

辰巳先生は、1924年生まれの料理研究家。
料理研究家と言っても、ただの料理の先生でもパフォーマーでもありません。私は、ほんの数年前に(やっとという感)『良い食材を伝える会』を通じて巡り会って以来ずっと尊敬させて頂いているのですが、筋金入りのザ・ホンモノを伝え、現在の日本の食文化に警鐘を鳴らしている方です。

日本の食卓に季節感がなくなったこと、『手ごろ』『簡単』『便利』というキーワードの元に本物の味や香りや栄養が忘れ去られてしまっている現代日本に危機感を持たれて、『本来の姿に戻る』というか、『本物を知る』ことの大切さを、年齢を全く感じさせないほどエネルギッシュに伝道されています。

日本語の美しい言葉で、「手しおにかける」 という言葉がありますが、これは、『手をつくして愛する』という意味が込められているとのこと。素材を知り、素材を生かし、食べさせる相手のことを考える。これによって相手も、「愛されている」という感情が言葉に頼ることなく伝わる・・・。

「料理を極めている人は、自然と『良い人』になっていくはずだ。」

と湯布院の老舗旅館でプロの板前さんたちに料理を教えるシーンでおっしゃっていました。

「美味しい物」って、本当に愛情を感じさせるものですよね。

特に私は食いしん坊だからかもしれませんが、

「誰かに食べさせようと思って丁寧に美味しい物を作る」

「丁寧に作られた美味しい物を選んで誰かに贈る」

これって、本当に愛情がなかったらできないこと。

そして、

「誰かが作ってくれた丁寧に作られた美味しい物を食べる」

これって、本当にその人の愛情を感じますよね・・・。

今朝は、辰巳先生に刺激されて、真摯な気分で週をスタートさせてみました!

皆様も良い1週間を!!!

テーマ:美味なるもの - ジャンル:グルメ

09 : 53 : 57 | スローフードな私的つぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
物の価格と物の価値って?
2005 / 12 / 09 ( Fri )
久しぶりにゆっくりと昼食を食べることができたので、テレビのスイッチをつけたら、今問題となっている耐震強度疑惑の事件についてやってました。

この頃の私のブログは、年末のストレスが溜まっているせいか(どうかは分からないけど)、なんとなく説教臭い・・・。

ごめんなさい!!説教臭い話はこれをもって暫くお休みするとお約束した上での記事。。

食品を輸入する上では厚生省の検査を受けなければいけないのだけれど、この検査料がとっても高い!特にチョコレートは厳しくて、何項目にも亘る検査を受けなければいけません。

もちろん、原材料の品質と製造行程にこだわっている商品なので、いくら検査されても輸入禁止になるはずはないと思っているので、正々堂々と検査をして頂くわけですが、逆に、きちんとした商品なのになんでこんなに疑われなければならないのだろう・・・と思ってしまうこともしばしば。

しかし、この耐震強度の審査がインチキされているという報道を毎日のように見聞きしていると、『品質の基準について正々堂々と胸を張れる商品ばかりが巷に出回っているわけではない』という紛れもない事実に改めて気付かされ、誠実な商品もイカガワしい商品も同等に並べられている!そして、その差に気付くことはとっても難しい!という問題点に気付かされたのでした。

消費者の立場で言えば、やっぱり払うお金は少ないに越したことはない。しかし、物の値段が安いということは、物自体の量が豊富にあって手に入り易いということ。そして、価格を安くしようとする生産者と販売者の企業努力の賜物。

しかしながら、その企業努力というのは、受注関係が(構造的に)下にいけばいくほど大きくなる。大きすぎて法律まで犯してしまうのは行き過ぎだけれど、それほど切羽詰まった状況だったと推察してしまう。

そうかと言って、価格が高ければ商品の質は良いのか?っていうのも懐疑的。本来、商品そのものの質にかけるべきお金を違うところにかけていたら、ただ単にマーケティング的・ビジネス的に値段を高く設定しているだけ。

じゃあ、一体何を信用したら良いのか!!っていう問題に行き着きますよね。

やっぱり、それは『人間』だって思います。

『この人が作った物は信用できるのか?』
『この人が売っている物は信用できるのか?』
『いったいこの人は信用できるのか?』

「今日はこれが美味しいし安いから持ってきな!」
と言ってくれる近所の八百屋や魚屋のおじちゃん、おばちゃんが信用できるのは、その人を信じているから。やっぱりその人の人間力、そして人間の顔ですよね。

顔が見える、信頼できる流通・・・これってやっぱりスローフードだ!

耐震強度疑惑問題も、もしも、不正をしていた設計士が直接お客様の顔を見ながら売っていたら、人間としての良心はもっと痛んでいたに違いないと思うな・・・。

私は、ちゃんとした物をちゃんとした値段で多くの人に紹介したいと思っています。(←誓い!)

しかし、それにつけても最近のユーロ高。頭が痛いです・・・。

テーマ:イタリア - ジャンル:海外情報

13 : 36 : 47 | スローフードな私的つぶやき | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
スローフード的考察3
2005 / 12 / 09 ( Fri )
『人間は機械じゃないんだ~!』

イタリアの小さいメーカーと話をしているとよく出てくるセリフ・・・。

銀河鉄道999(←年代がバレます)じゃないのに、こんなセリフが出てくる話題とは、日本に輸出する商品に関して。

例えば、買い物をする時、こういうことに気付いたことありませんか?

○ボトルに貼っているラベルがなんとなく斜めになっている。
○何本か店頭の棚に陳列されている商品に貼られているラベルの位置が微妙に違う。
○裏ラベルの賞味期限が手書きだった。

などなど・・・。

既に日本に輸出を始めているイタリアのメーカーと、『テコ入れ』的なご挨拶に行くときは、日本側のクレームを伝えてを解決することが多いのだけれど、その時によくイタリア人が言う言葉が冒頭の言葉。

それを受けて私。

『そりゃそうだけど、イタリアじゃどうなの?ラベルが曲がって貼られていたら嫌だと思わないの?まっすぐにきちんと貼られている商品を買いたいって思わないの?』

するとイタリアチームは、

『だって、曲がっているっていうことは心を込めて手作業でやっているっていう意味じゃない?オートメーションで作られている物よりも手作業で作っているって思う方がいいじゃない?』

ちょっと詭弁だと思うけど、コンセプトは確かに理解できる。。

そこで、折り紙の国、日本人の私が出した無難な結論。

『手作業の良さは認めるけど、もうちょっと丁寧にやってね♪』

イタリアは職人の国。
あの、超高級イタリア車だって、職人の手作りがベースだから高いわけだけれど、窓ガラスに髪の毛が入っていたりという手作りならではの欠点も起こったりするらしい・・・。(もちろん車としての性能に問題があるわけではないけれど)

イタリアの状況に慣れている私でも、『短時間に大量の商品を作れて当たり前。』って思ってしまっている時があることにハタと気付く。

こういう日本的要望を叶えようとして機械を導入したはいいものの、日本でのブームが去って発注数が激減して工場を維持できなくなってクローズを余儀なくされた小さなメーカーも結構あるらしい。

手で加工する商品は、それを加工する側の限界が関わる問題だから『努力が足りない!』っていう結論に結びついてしまう可能性もあるけれど、これが、加工作業が必要のない天然の物だったらどうだろ?

そう、農作物や魚や肉。

しかし、こういう物さえも、今は自然をコントロールする人間の手が入っているから、季節に関係なくいつでも旬じゃない野菜や養殖した魚が食べられる。

だから、『自然の物は未曾有にあるわけではない』っていうことすら忘れてしまうし、なんとなく『あって当然』という考え方も生まれてしまう。

コンピュータ制御の機械があって当然という考え方は、もはや100%捨て去ることはできないと思うけれど、地球に存在する自然の一部である人間としてやっぱり忘れちゃいけないし、越えてはいけない一線もあると思うな。。

人間が『人間サイズ』でいるっていうこと、なんだか難しくなってきたけれど、立ち止まって考えることも大切だよね。

ブログなんていう人間サイズを無視したコミュニケーションツールに書くのはすごく矛盾していると思うけれど・・・。

テーマ:イタリア - ジャンル:海外情報

09 : 33 : 08 | スローフードな私的つぶやき | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
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